2012年12月08日

ローマの力の源泉

ヴァイキングが侵入して来た時、
今のフランスにはフランク族の国があった。
もともとフランク族の中心は、ゲルマン系であり、
進出して来た時には、昔のドイツ語を話していた。
そして、定住後、ローマ化していた土着のガリア人と混じり合い、
ラテン語系統である古フランス語を話すようになった。
このように古代の西ローマ帝国は、北方から蛮族が侵入し、定住することによって、
解体された。

歴史学者によると、ローマ帝国に侵入して来た、蛮族達は、
歴代のローマの敵の中でも弱い部類であったという。
例えば、ローマが地中海の覇者となったのは、
ポエニ戦争によってカルタゴを打ち破ったからだが、
ハンニバルの軍団に比べれば、侵入して来たゲルマン人達は、圧倒的に弱かった。
つまりハンニバルと戦っていた頃のローマ軍団は、非常に精強であったのに対し、
蛮族が侵入したきた時のローマ軍団は、弱体化が著しかったということである。

精強であったローマ軍団の力の源泉は、属領民などから募集した志願兵であった。
志願兵の報酬はローマ市民権であり、30年間の間、ローマ軍団に入り、戦うことでローマ市民になることが出来た。
これによって、ローマ市民が生活保障を受けて、パンとサーカスに明け暮れる間も、強靭な軍隊を維持することが出来き、ローマは強国でいられた。

ローマ市民の子供は、ローマ市民のためいずれは飽和したのかもしれないが、
その前に、カラカラ帝が、支持を得る為に、全ての属領民にローマ市民権を与えてしまった。
この後、全てのローマの民が、生活保障を受けるようになり、質の高い兵士が確保出来なくなってしまった。
生まれながらにパンとサーカスが与えられ、育った人間の殆どは、
長期間にわたる辛く厳しい軍隊の生活を望ず、また耐えられないためである。
そして、歴代の中では比較的弱い、蛮族にあっさりと打ち破られた。

侵入して来た蛮族は、定住生活を始めると、ローマ化して弱体化し、
別の民族が侵入してくるということが繰り返された。
ヴァイキングによると、『いかに戦い、いかに死ぬかが問題』であるという。
このような死ぬことを厭わない民族と
パンとサーカスで育った死ぬことを厭う民族が争えば、前者が勝つ。

ところで、日本は、戦後アメリカの指導のもと教育を改め、
長期にわたる努力を厭い、危険を冒すことを避けるようになった。
ローマの末期を考えると、あっさりと侵入されて打ち倒されるのかもしれない。

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posted by 宗像 at 12:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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